時間が解決する問題を解決するために将来に禍根を残すという選択

この記事を読んで、久しぶりにこのブログに書きたくなった。

日本に戦時加算10年、著作権「不平等」解消へ : 経済 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE
http://www.yomiuri.co.jp/economy/20150708-OYT1T50224.html

戦時加算というのは、太平洋戦争の戦時下において、日本が当時の対戦国の著作権を保護しなかったために、戦争期間中の日数を保護期間に加えると言うものだ。

文化審議会 著作権分科会 過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会(第7回)議事録・配付資料 [資料8]−文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/bunka/gijiroku/021/07091009/006.htm

この資料によると、サンフランシスコ平和条約の締結国でベルヌ条約に加盟していた国の戦時中に既に創作されていた著作物について、日本国内においておよそ10年程度保護期間が加算されるというものだ。

サンフランシスコ平和条約が1952年なので、既に63年が経過している。
日本において、著作権の保護期間は現在は著作者の没後50年なので、戦時加算が影響を及ぼす著作物はまだたくさん残っていると思う。

しかし、いずれは戦時加算されている著作物の著作権も消滅する。
この「不平等」は時間が解決する問題だ。

一方で著作権保護期間の延長は、時間が解決する問題では無い。
著作者の没後50年から没後70年に一度延長すると、保護期間を短縮するという法改正を行わない限り、その影響は続く。
TPPで保護期間を70年と定めてしまえば、TPPから脱退しない限りそのような法改正は行うことができないので、半永久的に保護期間延長の影響は続くと言っていいだろう。

そもそも、戦時加算を補ってもあまりあるだけの保護期間を延長にするのだから、戦時加算がどうのこうの言う前に、著作権保護期間の延長を行うべきか否かのポイントに絞って考えるべき問題だ。
保護期間延長については、これまでも文化審議会著作権分科会で議論が行われてきたが、結論はまだ出ていない。
結論が出ていない状況で、仮に延長した場合その影響が半永久的に継続するようなことについて、時間が解決する問題とのバーター取引の材料として使うことは、愚の骨頂だ。

仮に、著作権保護期間の延長を行うのであれば、「戦時加算」の解消とは切り離して、保護期間の延長を行う必要性が本当にあるのかどうかについて国民的議論を行って、その上で延長することが望ましいと言う結果が出た上で行うべきであって、外交交渉のバーター取引として行ってならない。

再度言うが、時間がいずれ解決する問題を解決するために、将来、半永久的に禍根を残すような判断をするのは、愚の骨頂である。