朝日新聞で今連載されている小説「早雲」を読んでいる。
作者は砂原浩太朗氏。
砂原氏の作品はこれまで読んだことはないが、北条早雲の小説なので読んでいる。
北条早雲は、富樫倫太郎氏の『早雲の軍配者』を読んだことをきっかけに興味を持ち、同じ県内ということもあって小田原城にも行くようになり、小田原北条氏に関連する本を読むようになった。
小説では、富樫倫太郎氏の『北条早雲』『北条氏康』、火坂雅志氏と伊東潤氏の『北条五代』などを読んでいる。また、ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』も全巻電子書籍で購入しており、途中までは読んでいる(最新巻には追いつけていない)。
そんな中、朝日新聞で北条早雲を題材にした連載小説が始まるというので、楽しみに読んでいる。
まだ始まったばかりなので、これからどうなるのか楽しみにしているのだが、今日(2026年7月25日)の第24回を読んで、すごくもやもやした。
話の途中で作者が登場し、制作の裏話を語るという回だった。
作者が作品中で語ること自体に違和感はない。
もやもやしたのは、その内容である。
北条早雲の幼名は史料上は不詳だが、「千代丸」としたという。
その発想は、北条氏康の幼名が「伊豆千代丸」だったことからであった。
ところが執筆を進めるうちに、ゆうきまさみ氏の『新九郎、奔る!』でも早雲の幼名が「千代丸」とされていることを知り、出版社を通じてゆうき氏の許諾を得たうえで「千代丸」を使っている、という話であった。
正直なところ、少なくとも著作権法上は、ゆうき氏から許諾を得る必要のあることではないと思う。
「伊豆千代丸」から「千代丸」を思いつくこと自体は、ごく自然だし、富樫倫太郎氏の『北条早雲』でも幼名は「鶴千代丸」とされ、「千代丸」という名は使われている。こちらは『新九郎、奔る!』より前に発表された作品である。
小田原北条氏について調べれば、「千代丸」という幼名を採用すること自体は不自然ではない。
少なくとも著作権法上、先行作品で同じ幼名が使われていたことだけを理由に、許諾が必要になるとは考えられない。
もちろん、砂原氏がゆうき氏に許諾を求めたのは、先行作品への敬意を示すためだったのだと思うし、それ自体を咎めるつもりはない。
しかし、それを作品中で語ったことについては、やはりもやもやする。
このような場面で「許諾を得た」と紹介されることで、「このような場合は法的にも許諾が必要なのだ」という誤解が広まってしまうのではないかと感じるからである。
砂原氏は今回、「歴史小説とはいえ、フィクションとしてのアレンジの部分については、はやい者勝ちである」と書いていた。
しかし、私はこの考え方には賛成できない。
今回の例でいえば、「早雲の幼名を『千代丸』とする」というのは、一般的にはアイデアの範囲にとどまるものである。
そのアイデアに基づいて、早雲という人物をどのように描き、どのような物語として表現するかということこそが、その作品の独自性(オリジナリティ)なのではないだろうか。
そして、その創作的な表現を保護するのが著作権である。
歴史上の人物に同じ幼名を設定したからといって、その設定自体について先行作品の著者の許諾を得なければならないものではない。
キャラクター名の利用が裁判で争われた例もあり、創作者として慎重になったのかもしれない。しかし、それを作品中であえて語ることは、これから歴史小説を書く人たちに、「法的にも許諾を得なければならない」と受け取られるおそれがあるのではないかと危惧している。