本の価値を決めるのは作者ではなくて読者

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作家の東野圭吾さんは「利益侵害だけを理由に、著作権を主張しているわけではない」と、強調する。「作家、出版社は、書店で定価で買ってくれる読者によって報酬を得、次の本作りができる。書店で買う人、新古書店で安く買う人、レンタル店で安く借りる人、図書館で無料で読む人が、同じ読書サービスを受けるのはアンフェア。より早く新刊を読めるなど、書店で買うお客さんを優先したい」

何を持ってフェアとするか、アンフェアとするかは立場によって違うだろう。
作家の立場からはそう見えるのかもしれない。
しかし、本の価値を決めるのは書いた人ではなくて、読む人だ。
この本は新刊書店で買う、この本は文庫になるまで待つ、この本は新古書店で買う、この本は貸本屋で借りる、この本は図書館で借りる、この本は読まない、それを決めるのは作者ではなくて読む人だ。読む人が新刊書店で買うだけの価値がないと思う本まで、新刊書店で買うべしという権利は書いた人には無いし、それこそアンフェアではないか。
作家は、読者に対して文句を言う前に、この本は新刊書店で買いたい、と思ってもらえるような本を書くことに力を注ぐべきだ。
少なくとも「推理小説は犯人さえ分かってしまえば、二度と読み返すことはない」と同じ作家に言われながら、正式な抗議一つしない推理作家に「定価で買わないで読むのはアンフェアだ」と言われても、何の説得力もない。
もう一度言う、買って読む本、借りて読む本、それを決めるのは読者だ。