書物復権

今年で8年目になる、8社共同復刊企画の「書物復権」。
自分が買いたいと思う本はほとんど無いが個人的にはこういう企画は面白いと思っていた。
しかし、今回のサイトを見て失望した。
書物復権によせて」ということで法政大学教授の田中優子氏が文章を寄せている。
この内容にあきれてしまった。
本が消費物になったことを前提にスローフードならぬスローブックがあってもいいのではと述べており、それに続いて次のように述べている。

まっさきにそうなって欲しいのは図書館だ。図書館はコンビニではない。たとえば出版から半年以内の本や、千円以下の本は買わない、図書の購入選定委員会を作って、新刊か否かを問わず長く読み続けられる本だけを選ぶ、などの方法も考えられる。利用者からの希望があってもすぐには購入せず、選定委員会にかける、という姿勢も必要だろう。どこでも本の売上げランキングというものが見られるが、スローブックやBOQASという考え方はそれを無視する。必要なのは量のランク付けではなく、質の評価なのだ。良い書評を紹介し、さらには利用者による書評(感想文)を募って賞を出すのもいいかも知れない。こういうやりかたには必ず「偏り」が出てくる。それこそが、各々の図書館が持つ個性になる。
 貧しいがために、無料で本を提供しなければならない時代は終わった。今や、大量消費と環境汚染から市民を守るのが、公共の仕事なのではないだろうか。

図書館にどのような機能を要求するかは個人の自由である。
しかし、自分の好みを図書館に押しつけるのは、自由ではない。特に、情報アクセスに特権的な立場にいる者は。
私が一番気になったのは「貧しいがために、無料で本を提供しなければならない時代は終わった」という部分だ。
図書館利用者が貧しいかというと、そうではないと思うし、図書館は貧者のための施設でもない。
しかし、貧者でなくても、読みたい本がたくさんある人がそのすべてを購入できるかというと、必ずしもすべての人がそうであるとは言えないだろう。
例えば、何度も読み返したい人文書を買いたいが為に、ベストセラーや文庫などは図書館で借りるという人もいると思う。
図書館というのは、市民が様々な情報源にアクセスするための拠点であり、ベストセラーだから、1000円以下の本だからといって、図書館から排除するのはおかしい。
もちろん、各図書館にはそれぞれの選書基準があって然るべきだし、その選書基準が妥当かどうかは、検証されて然るべきだろう。
しかし、大学教授という情報アクセスについて特権的な立場にいる人が、一方的に自分の好みを押しつけて良いものではない。
田中優子氏は、読んでいるすべての本を自分で購入しているのだろうか。そうではないはずだ。法政大学の図書館を利用しているはずだろう。大学図書館という情報アクセス拠点を特権的に利用できるからこそ、田中氏は研究活動が行えるのであるし、自分の購入図書を選別できるのである。個人で買えない本を大学図書館に購入させるということだってやっているはずだ
自分がそのような特権的な立場にいながら、一般の市民が図書館を利用することを批判するのは、おかしい。
私は、ベストセラーであっても、1000円以下の本であっても、図書館から排除すべきではないと考えます。