共同声明への違和感その2
少し間が空いてしまったが、著作権保護期間延長の共同声明についての違和感を続けます。
この声明で大きく違和感を感じるところに「国際レベル」とか「国際協調」とか、やたらと「国際」を持ち出しているところです。
共同声明のタイトルはこれ
人々の生活を豊かにする文化芸術のために、国際的なレベルの著作権保護が必要です。
(強調引用者)
他にも
著作権の保護期間を、国際的なレベルである「著作者の死語70年まで」に延長することを要望いたします。
とか
●国際的な調和なくして新の著作権保護も文化交流も実現しません。
など、やたらと「国際的」が出てくる。
はたして、今の日本の著作権保護期間は「国際的」に見てどうなのだろうか?
「国際的な調和」という面を考えると、「ベルヌ条約」がある。
ベルヌ条約では、著作権保護期間は著作者の死後50年で、日本の著作権保護期間はベルヌ条約の条件を満たしている。
もちろん、50年以上の保護期間を設定しても条約違反にはならないが、「国際的なレベル」ということであれば、やはり条約をベースに考えるべきだろう。
なお、ウィキペディアに世界各国の著作権保護期間の一覧がある。
世界各国の著作権保護期間の一覧 - Wikipedia -
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%84%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%91%97%E4%BD%9C%E6%A8%A9%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%9C%9F%E9%96%93%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
これを見ていただければ一目瞭然だが、著作権者の死後70年としているのは、大半はEU加盟国だ。
EUで決まったことをそのまま「国際的なレベル」と単純に言ってしまって良いのだろうか?
そこで思い出したのが、白田先生の言われる「ポリシーロンダリング」。
白田秀彰 の 「インターネットの法と慣習」第9回 メンドウな事態とポリシー・ロンダリング
http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/shirata/040302/
これを読んで「国際的な合意」というものの持つ意味をよく考えてもらいたい。
著作権の保護期間は何年が妥当なのか、よその国でこうだから、というのでは余りにも安易だし、自主性が無い。自分の頭でちゃんと考えることが大事なのではないだろうか。
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