共同声明への違和感その1

共同声明を読んで最初に引っかかったのは次のところ。

 「文化は模倣により発展するものであり、著作権はその発展を妨げている。保護期間の延長はさらにそれを助長する。」という意見も時に聞かれますが、大切なのは作品の創作性であり、著作権はその創作性を保護するものであって、他人の表現の模倣や真似による作品を保護するものではありません。
(強調引用者)

この部分では「創作性」というものを強調していて、「模倣」や「真似」は保護するものではない、と述べている。
確かに、著作権法第2条第1項第1号において、著作権法の保護対象となる著作物について

第2条第1項第1号
思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するものをいう。
(強調引用者)

と定めてあり、「創作的」であることは著作物の必須条件である。
しかし、ここでいう「創作的」であることの要件はどのようなものだろうか?
例えば、作花文雄氏の著作権法 基礎と応用

基本的には、著作者の個性が創作行為に現れていればよいと解されている。
(16頁)

とあるように、高度な「独創性」とか過去に無かったような「新規性」が求められているわけではない。似たような表現が過去にあったとしても、「著作者の個性が創作行為に現れていれば」創作性が認められる、その程度のものである。

例えば、私がこのブログで書いてきたことは、それほど「独創性」がある表現ではないし、「新規な表現」でもない。書いてきた内容についても、他者の著作物を読んで得たものが非常に多い。自分の全くオリジナルな考えがどこまであるのか自信は無い。
内容も借り物かもしれないし、文体といえるものもあるとは思わない。
それでも、著作物の要件である「創作的に表現」したものであることは、否定できないだろう。

「模倣」でも「真似」でも無いとは思うが、先行する著作物があるからこそ、私の文章はあるのだと思う。

この共同声明に書かれている「創作性」は、私が思う「創作性」とはだいぶ違うような印象を受ける。
「模倣」でも「真似」でもないことを強調することによって、「創作性」というものを特別なものと位置づけているように感じる。
しかし、今は「一億総クリエーター」の時代。誰もが表現者、つまり、誰もが著作権者なのだ。このような状況で「創作性」というものを特別視することに、どのような意味があるのだろうか。
この点が、最初に感じた違和感だ。

この共同声明には、まだまだ言いたいことはたくさんあるので、しばらく続けていくつもりです。