新聞記事の見出し

ITmediaニュース:新聞見出し無断ネット利用に賠償命令 著作物性は再び否定
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0510/06/news081.html

見出しの無断配信は不法行為知財高裁が読売新聞の訴えを一部認める判決
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2005/10/06/9397.html

新聞記事の見出しに著作権はあるのかが問われた裁判の控訴審
一審同様、新聞記事の見出しには著作権は無い、ということが確認されたが、無断配信は不法行為との判断が示されました。

報道されている内容から、私は2つの点について違和感を感じています。

まず1点目は、見出しの著作権が否定された理由。
INTERNET Watchの記事では

今回の訴訟で対象となった見出しはいずれも見出しの表現が著作物として保護されるための創作性を有するとは言えず、見出し一般についても著作物性が認められるべきという読売新聞側の主張は採用できない

ため見出しの著作権が否定されたと報じている。
「創作性」が無かったから見出しには著作権が発生しない、ということだろう。
逆を言えば、「創作性」が認められる見出しには著作権が発生するかもしれないのだ。

私は、どれだけ「創作性」が認められる見出しであっても、新聞記事の見出しには著作権は認めるべきではない、というスタンスです。

私はここでよく新聞記事を取り上げます。その際には見出しを必ず記載するようにしています。なぜなら、記事を特定するために必要不可欠だからです。
ある本を紹介するときに、書名を書かない人はいないでしょう。新聞記事の見出しを記載するのは、それと同じことだと思います。

奇しくも、読売新聞が10月7日付の「この『見出し』はタダですか?」という社説で

見出しは、記事の飾りではない。新聞ではなおのこと、ネットでも、確かな情報への道しるべ、と見てほしい。

と書いているが、まさにその通り「確かな情報への道しるべ」なのです。
だからこそ、著作権を認めてはならない、と私は考えます。

万が一、新聞記事の見出しに著作権が認められたらどうなるか。
権利制限規定で認められている行為以外は、全て著作権者の許諾が必要になってしまいます。
私的複製の範囲以外で記事の見出しを複製(見出しを全て書き写すことなど)できなくなります。
文中に書き写す際にも、32条の引用の条件を満たす必要が出てきます。
例えば、「こんな記事がありました」と見出しを書くだけで言及しない紹介は、32条の引用規定を満たさないので、著作権者の許諾が必要になってしまいます。
さらに、WEB上やメールの本文でそのようなことをした場合は、公衆送信権を侵害する可能性すら出てきます。
「確かな情報への道しるべ」を使うことが、このように不自由になってしまうと、「確かな情報」へたどり着くことが非常に難しくなってしまいます。

私は、新聞記事の見出しが「確かな情報への道しるべ」だからこそ、仮にどんなに「創作性」が認められたとしても、著作権は認めるべきではないと思います。

私が感じた違和感のもう1点は、id:okeydokeyさんも述べられているように、「額に汗」を認めたことです。
著作権法では、どれだけ「額に汗」をかこうと、そこに「創作性」が無ければ保護されません。例えば、青空文庫著作権の切れた文学作品をボランティアの労力によってデジタル化を行っています。そこには非常に労力がかかっています。でも、青空文庫がデジタル化した文学作品について、青空文庫には著作権は生じません。デジタル化は単なる複製に過ぎず、そこには「創作性」が無いからです。
いくら「額に汗」をかいても、「創作性」が無ければ保護しない、それが著作権法の大原則です。

同じくINTERNET Watchの報道によると

記事見出しは多大な労力や費用をかけた報道機関としての一連の活動が結実したものと言えること、相応の苦労・工夫によって作成されたものであり、見出しのみで独立した価値を有するものとして扱われている実情があることなどに照らせば、見出しは法的保護に値する利益となりうる

と、労力・費用をかけていることが、法的保護に値する理由の一つとしてあげられています。
私は法学の素養が無いので、「不法行為」についてきちんと理解してませんが、著作権法上何ら問題のない行為について、投下した労力や費用を理由に、制限がかけられてしまうことについて、非常に違和感を感じています。