著作権人権論への反論のヒント

文化庁著作権課長の岡本薫氏は「著作権は人権である」という。
少し長くなるが「インターネット時代の著作権」(ISBN:4793701272)から、岡本氏の著作権人権論の部分を引用してみる。*1

 著作権というものを知る上でまず最初にご理解頂きたいことは、「著作権は人権である」ということです。著作権は、「世界人権宣言」や「国際人権規約」にも規定されている「人権」のひとつなのです。
 日本国憲法にも様々な「人権」が規定されていますが、そのひとつとして、第29条に「財産権」の規定があります。この条文には、「財産権は、これを侵してはならない」ということや、「財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律で定める」ということが規定されていますが、憲法が「法律で定める」と規定する「法律」のひとつが「著作権法」です。つまり著作権は、思想・信条・良心の自由、表現の自由、学問の自由、生存権、勤労する権利、教育を受ける権利などと並ぶ、様々な「人権」のひとつなのです。
 憲法第29条は、前記のように、「財産権は、これを侵してはならない」と規定し、人が努力して築き上げた「財産」について、これを無理やり取り上げたり、無断で利用するようなことをしてはならない、と明記していますが、著作権というものの基本には、こうした憲法の基本理念や考え方があり、「著作権憲法に基づく人権である」ということを、まずご理解ください。

「インターネット時代の著作権」(ISBN:4793701272)12-13頁

もったいつけの為に「世界人権宣言」とか「表現の自由」などの他の「人権」を列挙しているが、詰まるところ、著作権は財産権であり、財産権は人権の一つである、だから著作権は人権である、という三段論法である。*2
私は、この三段論法はどこかおかしい、と思っているのだが、なかなか上手く反論することができないでいた。
ところが、HotWired Japanに掲載されている、白田秀彰の「インターネットの法と慣習」第8回 政治的であることについてを読んで、その反論のヒントを得た。それは次の箇所

近代国家が掲げる財産権の不可侵というのは、財産権がどんな場合にでも絶対的に保障されなければならないという趣旨ではなく、政府が理由もなく国民の財産を収奪してはならないという原則のこと。一方、はるか昔から、財産権というのは常に公共の利益のために一定の制約を受けてきた。このあたりをごっちゃにしてはいけない。私たちに経済的自由に制約が課されるとき、誰の利益のための負担なのかを考えれば、両者を区別することは難しくないはず。

このあたりをもう少し調べてみてみたい。

*1:岡本氏の最新の著作に「著作権の考え方」(ISBN:4004308690)があるが、岩波新書のためか、それとも著作権課長を退任したためか、「インターネット時代の著作権」に比べるとおとなしい印象を受ける。岡本氏の著作権についての考え方は「著作権の考え方」よりも「インターネット時代の著作権」のほうに表れていると思う。

*2:誤解しがちであるが、岡本氏が「著作権は人権である」と言う時の「著作権」とは、「著作者人格権」のことではなく、「財産権」としての「著作権」である。