ブログ書評の利用(つづき)

My Life Between Silicon Valley and Japan - いま製作中の新聞広告で、ブログ書評から言葉を(つづき)
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060303/p1

昨日

梅田さんご自身が「著作権に鈍感な人」

書きましたが、筑摩書房は「著作権に敏感」だったようです。


なお、誤解の無いように書いておきますが、私は著作権に「敏感」で無ければならない、とは思っていません。
というか、著作権に「敏感」「鈍感」というのは、私が言ったのではなく、梅田さんが「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)」のなかで述べています。

著作権についての論争がヒートアップしやすいのは、議論の当事者が、著作権に鈍感な人と著作権に極めて敏感な人とに別れていて、その間に深い溝があるからだ。そしてその溝は、「その人たちが何によって生計を立てているか」「これから何によって生計を立てたいとかんがえているか」の違いによって生まれている場合が多い。
(182-182頁)

私は、この「敏感」「鈍感」という2分法に対して、異議を申したたてたいと思って、昨日のエントリを書きました。
この梅田さんによる「敏感」「鈍感」という2分法で考えると、昨日も書いたように、2日付けのエントリで書かれた

また広告スペースの関係で、言葉・フレーズにURLや筆者名の付記はしません。ブログ筆者一人ひとりに承諾を取るのが筋かもしれないのですが、ご連絡のしようもない場合もあり、この場でのこの報告でご諒解いただければと思います。

というやり方は、著作権に「鈍感」な方に入るのだろうと、私は思います。
梅田さんご自身が著作権に「鈍感」だ、と言われてどのように思われるのか、それが知りたかったのですが、本日付のエントリで、許諾を得た上で広告を掲載することになりました。
梅田さんご自身が、自分が著作権に「鈍感」だと自覚した上で、著作権に「敏感」「鈍感」という表現をしていて、さらにその自覚の上で、上記引用部のような対応をしようと考えていたのでしたら、それは評価するつもりでしたが。

再度書きますが、私は著作権に「敏感」であるべきだ、とは思いません。

何度か書いていますが、著作権を語る上では次の3点が重要だと考えます。

  • 誰もが著作権者であり、且つ同時に利用者でもある。
  • 著作権を語る上で第三者という立場はあり得ない。誰もが当事者である。
  • 自分が他者の著作権を侵害している可能性がある。

そして、この3点をふまえると「敏感」「鈍感」という2分法では、とらえられないのではないか、と考えます。