一億総クリエーター、一億総ユーザーとは

オープンセミナーで講演して頂いた岡本薫氏の一番の功績は「一億総クリエーター、一億総ユーザー」という言葉を広めたことではないかと私は思う。
私が著作権を考える上でのキーポイントがこの言葉に凝縮されているからだ。
「一億総クリエーター、一億総ユーザー」という言葉に凝縮されている私にとってのキーポイントは次の2点です。
まず1点めは、「誰もがクリエーターであると同時にユーザーでもある」と言うことです。
著作権について語る際に、ユーザーの立場のみ語る人とクリエーターの立場のみで語る人がいますが、クリエーターでないユーザーやユーザーでないクリエーターというのは、そもそもあり得るのでしょうか?
作家の人も音楽を聴いたり映画を観たりするでしょうし、ミュージシャンも小説を読むでしょう。いや作家も他の人の小説を読むでしょうし、ミュージシャンも他の人の音楽を聴くはずです。そういう場面では、ユーザーなのです。
私は基本的にはユーザーの立場で著作権を語っていますが、こんな私もBLOGで文章を書いていますし、雑誌に掲載された文章もあります。(プロフィール参照
つまり誰もが権利者であると同時に利用者でもあるのです。
著作権について語る上でこのことを充分に自覚する必要があると私は考えます。
片方のスタンスしかとれない人は著作権について語る資格はないと私は考えます。

2点目は、著作権については誰もが当事者であって、第三者の立場というのはあり得ないということです。
たまに、学識経験者として著作権者を語る人の中に自分は第三者であるというスタンスを取る人がいます。
しかし、上で述べたように誰もが権利者であると同時に利用者でもあるのです。つまり誰もが当事者なのです。学識経験者の人も当事者なのです。
法学部の先生に聞きたいのですが、自分が読むために大学図書館でコピーした文献はちゃんと31条の範囲内でコピーしたモノなのでしょうか。自分が論文を書く際に32条の範囲内で引用を行っているのでしょうか。逆に自分が書いた文章を32条の範囲内で(無断で)引用された場合にどのような反応をするのでしょうか。
著作権を語る上では、このような身近な所からはじめる必要があると思います。
当事者意識の無い人には著作権を語る資格は無いと私は考えます。

もう一度簡潔に書きます。

著作権を語る上では、自分は権利者であると同時に利用者でもあるということを自覚する必要があります。
著作権を語る上では、自分も当事者であることを自覚する必要があります。

「一億総クリエーター、一億総ユーザー」とはこういうことだと私は考えます。