電子書籍と出版社の志

昨日は仕事納めで、午前で終わりだったので、午後から神奈川県立図書館によって、読みたい文献のコピーを取ってきた。書庫から読みたい雑誌を出して貰っている時に、時間つぶしに「出版ニュース」の最新号を読んだ。そしたら、ソニー電子書籍について、私と同じような意見(id:copyright:20031118#p2)があって、深く感銘を受けた。

消耗品であることを肯定した電子書籍(DIGITAL PUBLISHING 12). 歌田明弘.
出版ニュース. No.1922, (2003) p.13
http://blog.a-utada.com/chikyu/2004/01/post.html

 さらにこの電子書籍は会員制で、「レンタル」だという。2か月たつと自動的に閲覧できなくなるそうだ。本の歴史を振り返り、「本は記録装置としての役目を担ってきた」などと書いて本まで出した私は、正直なところ唖然とさせられた。「紙の本はかさばって保存するのはたいへんだが、デジタルなら場所を取らない」というこれまでの電子書籍の謳い文句はいったいどこへ行ったのだろう。図書館だって本を貸しているし、レンタルチェーン店だってある。しかし、いうまでもなくデジタルはいくらでもコピー可能だ。「返したから読めない」のではなくて著作権保護の部分で「読めなくした」っだけということは誰だってわかる。デジタル化する大きな長所を、この電子書籍は供給者側の都合でみずから否定してしまったわけだ。

 また、本はもはや末永く売るといった悠長はものではなくなってきた。短期間にぱっと売って品切れになる。読み手の側も流行りの本に殺到する傾向が強まり、そうした本の大半は読み返されることがない。ソニー電子書籍は、変化の激しいデジタル技術の現状と、本が消耗品化していく今のネガティヴな出版状況をはなはだ残念ながら反映しているのだろう。

 この事業が発表になり、「来年はいよいよ電子書籍元年か」と書いたメディアもあったが、私にはそんな華々しいものにはとても思えない。2か月で消えてなくなる電子書籍にはそもそも出版事業の志が感じられないし、ビジネスモデルとしても数々の困難が感じられる。うまくいかなければそれまでだし、いったらいったで言論活動が電器メーカーに左右されかねない、かつて無い自体が出現する恐れすらある。協力する出版社は、そういしたことをよくわきまえてのことにしてほしい。

この文章を読んで、私がなぜ三田誠広氏や楡周平氏などの一部の作家達の主張に反対しているのかが分かったような気がする。彼らの主張には「志」が感じられないからである。
特に、日本推理作家協会の主張する、6か月間の貸し出し猶予期間の要望はまさにそれである。作家自身が自分が書いた本は6か月の間で売り切ってしまわないと、それ以降は売れない、と言うことを認めているのである。
私は推理小説でも、もっと長期にわたって売れる本はあると思う。
個人的な読書経験を話すと、岡嶋二人氏の小説を読み始めたのは、岡嶋氏が解散してだいぶたってからだったと思う。確か「クラインの壺」が文庫化されたのを最初に読んで、その後既刊を読みあさった記憶がある。文庫の「クラインの壺」は別としても、他の作品は文庫でも6か月以上は過ぎていた。
また、今年では、貫井徳朗氏の小説も、e-NOVELSで「被害者は誰?」を読んだ後に、文庫で出ている貫井氏の小説を読みあさった。ほとんどの小説が文庫化されてから6か月以上経ったものである。(「プリズム」は6か月経っていなかったかもしれない)
更に言うと、6か月どころか10年以上前の作品でも、今読んで面白いという推理小説はいくらでもある。例えば天藤真氏「大誘拐」は映画化された時に読んで、とても面白かった。(映画も面白かった)その後東京創元社から文庫で天藤真推理小説全集が出版されて、それをむさぼるように読んだこともある。このように、推理小説でも、6か月以上にわたって売ることは可能なはずである。
しかし現状では短期間で売り切って終わり、という状況になっている。なぜなのか。それは図書館のせいではなく、出版社の販売政策によるものだ。
本来なら作家達は、出版社の販売政策に対して異議を唱えるべきであろう。自分の書いた本に対して、6か月以上の長期にわたって売れ続けるだけの自信と誇りを持っているならば。
しかし、推理作家は出版社の販売政策に対して意義を唱えることはせずに、6ヶ月間で売れるだけ売りたいから、その間図書館で貸し出さないでくれ、と言うのである。その主張には自分の書いた本に対する誇りや自分の作品の「志」と言ったものは感じられない。歌田氏がソニー電子書籍に対して言うように、自分の書いた本が消耗品であることをみずから肯定していると、私には受け取れる。
私は、書いた本人が「消耗品」である、と認めているような本は読みたくないし、そのような作家の主張は認めたくはない。
田辺氏

しかし、自分でいうのもなんですが、ぼくは作家に妙な幻想を持ちすぎですかね?

と言いますが、私の方が幻想を抱いているのかもしれません。(笑)