図書館についての誤解

「図書館への私の提言」というタイトルですから、図書館について充分に理解し、図書館の現状を充分に把握した上で提言していると普通は思うでしょう。しかし、三田氏は図書館についての理解が不足しています。

三田氏は貸出サービスよりもレファレンスサービスを充実すべきだと考えています。
その点については私も賛成です。レファレンスサービスの充実は、10年以上前の私の学生時代に図書館・情報学を専攻していた時から言われていました。

しかし、三田氏はレファレンスサービスのことをよく知らないみたいです。
三田氏がレファレンスサービスについてどのように認識しているか、それを記述しているかを引用します。
例えば17ページ。

レファレンス業務を中心とした図書館の場合は、図書館司書の指導によって、利用者に多用な本を提供する必要があります。ですから、そうしたニーズに応えて多用な本を置くというのが鉄則のはずですが、単なる貸本屋に堕している多くの公共図書館では、本棚がベストセラーに占拠されて、純文学や学術書など、人気はないけれども、文芸文化としての意義は高い良質の本が、図書館の本棚から姿を消してしまうおそれが出てきます。

つづいて、66ページから67ページにかけて。少々長くなりますが、ご了承ください。

 学術書や純文学を求めるのは、研究者だけではありません。最近は教育の現場において、学習指導のシステムが改革され、生徒が自発的に資料を調べて学習する「調べ学習」というものが重視されています。小中学校にも図書室はありますが、蔵書はきわめて貧弱です。近くにも公共図書館があれば学習に役立つでしょう。
  (中略)
 調べ学習をしている生徒に、こういう本を調べたら、というアドバイスと同時に、その本を書棚から取り出す(こういう仕事を「レファレンス」といいます)。そのためには、多種多様の本が、図書館の本棚に備わっていなければなりません。

この2つのところで共通しているのは、レファレンスサービスを行うのに「純文学」や「学術書」が必要であると考えているところです。
しかし、実際はどうでしょう。

図書館のレファレンスサービスで物事を調べる時に使うものを「レファレンスツール」と言います。レファレンスツールとしてまずあげられるのは、辞書・辞典のたぐいがあります。百科事典、国語辞典、現代用語辞典などはまず基本として押さえたいところです。人物事典なども必要でしょう。少々専門的なことを調べる場合は、それぞれの専門分野の事典、ハンドブック、便覧類も使うかもしれません。
更に専門的な所まで調べていくならば、文献目録・書誌なども必要になります。

レファレンスに必要なのは本だけではありません。
データベースもそろえておきたいところです。新聞記事データベースは各新聞社が図書館向けのサービスを用意しています。
雑誌記事についてのデータベースについては、国内では使えるものが多くありません。一般的な雑誌記事については国会図書館が作成している雑誌記事索引、NICHIGAI ASSISTのMAGAZINEPLUS、大宅壮一文庫雑誌記事索引総目録、科学技術文献を調べる時には科学技術振興事業団のJOIS。
これらのデータベースと契約しておきたいです。

他にも必要なレファレンスツールをあげていけばきりがないのでここら辺で止めておきます。

「純文学」や「学術書」があってもレファレンスサービスの邪魔になるとは言いませんが、レファレンスサービスを充実させるために必要な資料としては、「純文学」や「学術書」(三田氏のいう「学術書」がどのようなものを指しているのか、私には具体的にイメージできませんでした)は優先順位はあまり高くはありません。

三田氏はレファレンスサービスの充実を唱えますが、私には三田氏がレファレンスサービスの実態について充分に理解しているとは思えません。もし三田氏がレファレンスサービスをきちんと理解していたとしたら、「純文学」とか「学術書」を持ち出してくるはずがありません。
三田氏は、本当はレファレンスサービスを充実して欲しいと思っているのではなく、ただ、図書館は「純文学」や「学術書」を買うべきである、と主張したいだけなのではないでしょうか。私には、そのようにしか思えません。

上記の引用は、三田誠広「図書館への私の提言」勁草書房(2003年)ISBN:4326098287 より。