読む自由

表現規制問題に対して「表現の自由」が主張されることが多い。

もちろん「表現の自由」って本当に大事なものなので、それを主張することは当然だと思う。

でもそれだけだと、不充分ではないかと思うことがある。

「表現の自由」って言うと、表現する側だけの自由って捉えられてしまうおそれがあるから。

「表現の自由」とセットで「読む自由」がある。

自由に表現されたものを「読む自由」。

この「読む自由」は、表現する側だけで無く、万人に認められなければならないものだ。

「読む自由」が無ければ、「表現の自由」が補償されていたとしても、読むことを制限されてしまうことになる。それでは意味が無い。

「表現の自由」は「読む自由」とセットになって意味がある。

そして「読む自由」は、自由に表現されたものに「アクセスする自由」があってこそ、存在しうるものだ。

「表現の自由」を主張する際には、「読む自由」「アクセスする自由」が背後にあることを分かってもらえるようにして欲しいと思う。主張する側も、受け止める側も。