「アメリカで裁かれた本」

先週読み終わった本。

ここまで引き込まれるとは思わなかった。
紹介されている事例も興味深いけど、日本での状況と比較すると、色々と考えさせられる。


本書は、米国の公立学校・図書館で所蔵の是非が争われた事例を紹介しながら、「本を読む自由」について論じている。
第1部が「人種差別をめぐる本」として「ヴェニスの商人」とミシシッピ州の歴史書を、第2部が「宗教と科学の対立をめぐる本」として、「ダーウィン進化論」と「非宗教的な人間主義」を裁いた事例を、第3部は「宗教と道徳をめぐる本」としてヴォネガットの「スローターハウス5」と「ハリー・ポッター」、そして同性愛を扱った児童書を、第4部では「国際政治をめぐる本」として、キューバを紹介した本の事例を取り上げている。

ミシシッピ州の歴史書を教科書としてしようすることの是非を争った事例については、日本の歴史教科書問題などが思い起こされるけど、本書で取り上げられた事例の全てに、アメリカ特有の社会背景があるので、日本に直接持ってくることはできないと思うし、正直、ここまで争う必要があるのか、と疑問に思うケースもある。

逆に言うと、公立学校や図書館が本へのアクセス拠点として、そして「読む自由」を保障する場として認められているからこそ、制限しようと言う動きと、制限に反対する動きが衝突するのだと思う。
日本においては、西船橋の蔵書廃棄事件が思い出されるが、その時も訴えたのは著者であって、図書館利用者では無かった。
言論の自由」と言う点では争われたけど、「読む自由」と言う点がどれだけあったのだろうか。


それと、制限しようとする動きに対して、その制限に反対する動きがある所に、アメリカのすごさを感じる。

例えば、「反キリスト教的」ということで、公立学校の図書館で「ハリー・ポッター」の貸出制限がなされたことに対して、「読む権利」を奪われたとして、その学校に通う子供の両親が裁判を起こした事例が紹介されている。
その裁判に対して、多くの団体が両親への支持を表明したり、米国図書館協会も両親支持の立場から意見書を出したらしい。
このような制限が課せられることも、裁判になることも、日本では考えにくいが、仮にそうなった場合、子供の「ハリー・ポッター」を読む権利が奪われた、と主張する親を支持する人がどれだけでてくるか、正直疑問に思う。
ハリー・ポッター」ぐらい買って読ませろ、という意見が大勢をしめるのではないだろうか。


私は本書を読んで、「読む自由」ということ、そして図書館が「読む自由」を保障する機関であることについて、改めて考えされられた。
「読む自由」と図書館については、今後も考えていきたい。